ロシア最初の統一国家 ≪ロシア・政治・カテゴリー≫
キエフ・ロシアのオリガ公妃やノブゴロドの女性市長官マルファのように亡夫にかわって権力の座についた女性もいたが、9世紀の建国当初よりロシア社会は男性優位の社会であった。
ギリシア正教の受容によって、民衆の間にあったかなり自由な男女間の風習もしだいに排され、女は不浄なものだという女性観が浸透した。
しかしその聖母信仰のため母親への尊敬は深く、未亡人の地位は社会的にも認められていた。
13世紀なかばからのモンゴル支配によって確立された専制と家父長制は女性たちの生活を閉鎖的なものとした。
16、17世紀には隷属的状態はもっともひどかった。
16世紀に編まれた『家庭訓』は、日本の『女大学』に酷似し、朝は暗いうちから起きて家事を切り盛りし、子供をりっぱに育て、夜通し灯明を絶やさないよう教え、貞淑・従順・忍耐をもって夫と神に仕えるよう説いている。
女性たちはほとんど外出せず、客の前に顔を出すのもはばかって暮らした。
人口のほとんど95%を占める農民や農奴の生活は重労働と貧困が加わってまったく悲惨であった。
平均10人近い子供を産んだが、育つのは半数であった。
ピョートル1世によってヨーロッパ化が行われた18世紀になると、貴族社会では女性たちの立場も変化した。
18世紀の「家庭訓」とされるタチシチェフの『遺訓』では、「妻はおまえの奴隷ではなく、同志であり、協力者であることを忘れるな」となっている。
ドイツ風の服装で女性も夜会に出るようになった。
この世紀には4人の女帝が66年間統治し、ロシア人ではなかったが、エカチェリーナ2世は高い教養と政治的手腕をもった専制君主であった。
もとより女性の隷属的立場はその後も変わらず、1832年の民法典にも規定されたように、「家長としての夫に服従し、愛と尊敬と無限の従順さをもって夫に対し、一家の主婦として喜ばせ、愛情を示す」妻の義務は生き続けた。
親の許可なく結婚することはできず、妻は夫から身分を与えられ、夫の許可なしに雇用労働につくことはできなかった。
19世紀のロシア文学には、『アンナ・カレーニナ』など、そうしたなかで人間らしく生きようとした女性たちの魂が描かれている。
ちなみに、ロシアでは女子の相続権は『ルースカヤ・プラウダ』でも認められており、1832年の民法典では夫の死後妻は不動産の7分の1と動産の4分の1、娘は14分の1と8分の1の相続権が規定されていた。
夫婦別産制も古くから存在し、農村でも牛は妻の財産で、賃仕事で妻が稼いだものは妻の財布に入った。
持参金は妻の財産で、自分の財産の自由な管理、処分権も認められていた。
ギリシア正教の受容によって、民衆の間にあったかなり自由な男女間の風習もしだいに排され、女は不浄なものだという女性観が浸透した。
しかしその聖母信仰のため母親への尊敬は深く、未亡人の地位は社会的にも認められていた。
13世紀なかばからのモンゴル支配によって確立された専制と家父長制は女性たちの生活を閉鎖的なものとした。
16、17世紀には隷属的状態はもっともひどかった。
16世紀に編まれた『家庭訓』は、日本の『女大学』に酷似し、朝は暗いうちから起きて家事を切り盛りし、子供をりっぱに育て、夜通し灯明を絶やさないよう教え、貞淑・従順・忍耐をもって夫と神に仕えるよう説いている。
女性たちはほとんど外出せず、客の前に顔を出すのもはばかって暮らした。
人口のほとんど95%を占める農民や農奴の生活は重労働と貧困が加わってまったく悲惨であった。
平均10人近い子供を産んだが、育つのは半数であった。
ピョートル1世によってヨーロッパ化が行われた18世紀になると、貴族社会では女性たちの立場も変化した。
18世紀の「家庭訓」とされるタチシチェフの『遺訓』では、「妻はおまえの奴隷ではなく、同志であり、協力者であることを忘れるな」となっている。
ドイツ風の服装で女性も夜会に出るようになった。
この世紀には4人の女帝が66年間統治し、ロシア人ではなかったが、エカチェリーナ2世は高い教養と政治的手腕をもった専制君主であった。
もとより女性の隷属的立場はその後も変わらず、1832年の民法典にも規定されたように、「家長としての夫に服従し、愛と尊敬と無限の従順さをもって夫に対し、一家の主婦として喜ばせ、愛情を示す」妻の義務は生き続けた。
親の許可なく結婚することはできず、妻は夫から身分を与えられ、夫の許可なしに雇用労働につくことはできなかった。
19世紀のロシア文学には、『アンナ・カレーニナ』など、そうしたなかで人間らしく生きようとした女性たちの魂が描かれている。
ちなみに、ロシアでは女子の相続権は『ルースカヤ・プラウダ』でも認められており、1832年の民法典では夫の死後妻は不動産の7分の1と動産の4分の1、娘は14分の1と8分の1の相続権が規定されていた。
夫婦別産制も古くから存在し、農村でも牛は妻の財産で、賃仕事で妻が稼いだものは妻の財布に入った。
持参金は妻の財産で、自分の財産の自由な管理、処分権も認められていた。
update:2010年02月24日
